書籍の説明
文学とは、つねに転向者のものである
中村光夫、平野謙、江藤淳、蓮實重彦、三島由紀夫、転向と文学の問題に直面したものたちのリアリズムへの懐疑を通じ、文学にふたたび「転向」という主題を導入する!
転向論のほか、ラーゲリ、保守革命をめぐる諸論考、論争的時評・書評を集成した批評の軌跡。
装幀=稲川方人
私は「私」という言葉に「帰属」しない「残滓」にしかいない。それは「失われた=残滓」としての「ラザロ」だ。「探求としての文学の言語」は、言葉によって死んだ「ラザロ」を蘇らせ再現するのではなく、いかに墓の「ラザロ」、失われた「ラザロ」を求めるか、なのだ。いくら転倒して見えようとも、この逆説にしか文学の真実はない。究極、文学は、ラザロを蘇らせる者と、失われたラザロを求める者とのたたかいである。本当の文学論争はそこにしかない。
(「はじめに アフター・リアリズム、あるいは失われたラザロについて」より)
著者プロフィール
中島一夫(なかじま・かずお)
1968年生まれ。文芸評論家。2000年に「媒介と責任─石原吉郎のコミュニズム」で新潮新人文学賞受賞。2014年の一年間『週刊読書人』にて論壇時評を執筆。著書に『収容所文学論』(論創社)。
目次
はじめに アフター・リアリズム、あるいは失われたラザロについて
Ⅰ 文学・転向・リアリズム
第一章 復讐の文学 プロレタリア文学者、中村光夫
第二章 なし崩しの果て プチブルインテリゲンチャ、平野謙
第三章 江藤淳の共和制プラス・ワン
第四章 批評家とは誰か 蓮實重彦と中村光夫
第五章 PC全盛時代の三島由紀夫 その反文学、反革命
Ⅱ ラーゲリ・ユートピア・保守革命
第一章 前線としてのラーゲリ スパイにされた男、内村剛介
第二章 鮎川信夫のユートピア ソルジェニーツィン・内村剛介・石原吉郎
第三章 反原発と毛沢東主義
第四章 自然災害の狡知 「災害ユートピア」をめぐって
第五章 木登りする安吾 「文学のふるさと」再考
第六章 江藤淳と新右翼
第七章 疎外された天皇 三島由紀夫と新右翼
第八章 文学の毒 平野謙と瀬戸内晴美
Ⅲ 時評 二〇一四年一月〜一二月
一月 内戦前夜にある「日本」
二月 冷戦後を生きはじめた言論空間
三月 技術は、人間に総動員を「要請」する
四月 すべてが物語となる中で
五月 リオリエント的歴史観への転回
六月 「スキゾ」から「アスペ」へ
七月 日本に近代市民社会は成立しているか
八月 ピケティ・パニック
九月 期せずして問題化される「帝国」
一〇月 冷戦後の不可避的な移行
一一月 ネオリベ化する大学
一二月 代表制+資本主義そのものを問う選挙
二〇一四年総評 「嘘」に塗れていた二〇一四年の言葉たち
Ⅳ 書評
それでも福田和也が現代文学を語る理由 『現代文学』
ファシストの孤独 『イデオロギーズ』
福田和也から詩を奪回する 『存在と灰 ツェラン、そしてデリダ以後』
鴎外の憂鬱 『現代人は救われ得るか 平成の思想と文芸』
「妄説」を語るのは誰か? 『「日本文学の成立」の成立』
鈴木貞美に反論する その1
鈴木貞美に反論する その2
前衛の再建 『〝改革〟幻想との対決 武井昭夫状況論集2001-2009』
〝楕円〟を描く武井の「二重性」 『創造としての革命―運動族の文化・芸術論』
実存的な「生」への抵抗 『詩的間伐 対話2002-2009』
文学にならなくて私はなんらかまわない 『詩と、人間の同意』
新たな視点を提示する 『政治経済学の政治哲学的復権 〈臨界—外部〉にむけて』
消えゆく媒介者、田村孟 『田村孟全小説集』
三・一一後に読み直すブロッホ 『希望の原理』
人間の「外」へ、言語の「外」へ 『記号と機械 反資本主義新論』
吸引されながら、なお耐えて軋む 『天使の誘惑』
混迷の十年の世界にクリアな見通しを 『タイム・スリップの断崖で』
批評家としての思考の足跡 『柄谷行人書評集』
壮大な「必敗」の記録 『チビクロ』
「近代文学の終り」のインパクト 『柄谷行人と韓国文学』
既存の「イメージ」を退ける 『小林秀雄 思想史のなかの批評』
おわりに
Ⅰ 文学・転向・リアリズム
第一章 復讐の文学 プロレタリア文学者、中村光夫
第二章 なし崩しの果て プチブルインテリゲンチャ、平野謙
第三章 江藤淳の共和制プラス・ワン
第四章 批評家とは誰か 蓮實重彦と中村光夫
第五章 PC全盛時代の三島由紀夫 その反文学、反革命
Ⅱ ラーゲリ・ユートピア・保守革命
第一章 前線としてのラーゲリ スパイにされた男、内村剛介
第二章 鮎川信夫のユートピア ソルジェニーツィン・内村剛介・石原吉郎
第三章 反原発と毛沢東主義
第四章 自然災害の狡知 「災害ユートピア」をめぐって
第五章 木登りする安吾 「文学のふるさと」再考
第六章 江藤淳と新右翼
第七章 疎外された天皇 三島由紀夫と新右翼
第八章 文学の毒 平野謙と瀬戸内晴美
Ⅲ 時評 二〇一四年一月〜一二月
一月 内戦前夜にある「日本」
二月 冷戦後を生きはじめた言論空間
三月 技術は、人間に総動員を「要請」する
四月 すべてが物語となる中で
五月 リオリエント的歴史観への転回
六月 「スキゾ」から「アスペ」へ
七月 日本に近代市民社会は成立しているか
八月 ピケティ・パニック
九月 期せずして問題化される「帝国」
一〇月 冷戦後の不可避的な移行
一一月 ネオリベ化する大学
一二月 代表制+資本主義そのものを問う選挙
二〇一四年総評 「嘘」に塗れていた二〇一四年の言葉たち
Ⅳ 書評
それでも福田和也が現代文学を語る理由 『現代文学』
ファシストの孤独 『イデオロギーズ』
福田和也から詩を奪回する 『存在と灰 ツェラン、そしてデリダ以後』
鴎外の憂鬱 『現代人は救われ得るか 平成の思想と文芸』
「妄説」を語るのは誰か? 『「日本文学の成立」の成立』
鈴木貞美に反論する その1
鈴木貞美に反論する その2
前衛の再建 『〝改革〟幻想との対決 武井昭夫状況論集2001-2009』
〝楕円〟を描く武井の「二重性」 『創造としての革命―運動族の文化・芸術論』
実存的な「生」への抵抗 『詩的間伐 対話2002-2009』
文学にならなくて私はなんらかまわない 『詩と、人間の同意』
新たな視点を提示する 『政治経済学の政治哲学的復権 〈臨界—外部〉にむけて』
消えゆく媒介者、田村孟 『田村孟全小説集』
三・一一後に読み直すブロッホ 『希望の原理』
人間の「外」へ、言語の「外」へ 『記号と機械 反資本主義新論』
吸引されながら、なお耐えて軋む 『天使の誘惑』
混迷の十年の世界にクリアな見通しを 『タイム・スリップの断崖で』
批評家としての思考の足跡 『柄谷行人書評集』
壮大な「必敗」の記録 『チビクロ』
「近代文学の終り」のインパクト 『柄谷行人と韓国文学』
既存の「イメージ」を退ける 『小林秀雄 思想史のなかの批評』
おわりに